TEADA 2021/後期号
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プロフィール誕生日1879年3月14日 うお座出身職業趣味特技 ヴァイオリン実験中に爆発事故をおこしたりする問題児でした。 そんな彼は大学の物理学部長と仲が悪かったため,教授の助手になれず,卒業後,保険外交員や家庭教師のアルバイトなどをして,しばらく定職に就きませんでした。 両親や先生から心配されるような学生時代を過ごしたアインシュタインですが,周りからどう思われようと,興味のある分野の論文を書き続けました。そして,30歳のとき,チューリッヒ大学の助教授になり,念願の物理学者となったのです。 アインシュタインは決して優等生ではありませんでした。しかし,自分の好きなことに,並々ならぬ熱意を注ぎ,それを生涯に渡って続けました。1955年にこの世を去るまで,書き上げた論文は300本以上に上り,彼のおかげで,20世紀の科学が何十年分も一気に進歩しました。 『特殊相対性理論』『ブラウン運動の理論』など科学史に残る理論を提唱し,名を残した偉大な物理学者,アインシュタイン。第2回は,そんな偉大な物理学者のダメっぷりエピソードをご紹介します。13ダメっぷり❷ 受験に失敗したアインシュタインですが,条件付きで翌年度の入学許可が下ります。大好きな数学と物理学を学ぶことになり,さぞ勉学に打ち込んだのだろうと思いきや,全然そんなことはありませんでした。 アインシュタインはせっかく入学できた大学にもかかわらず,とても反抗的な態度で学生時代を過ごします。興味のない授業にはまともに出席しなかったり,ドイツ ウルム物理学者音楽・ハイキング・ヨットなどダメっぷり❶ アインシュタインといえば天才的な頭脳を持っているというイメージがありますが,学業成績がよかったかというと,決してそうではありません。 子どもの頃から,アインシュタインは言葉を話したり書いたりすることが大の苦手でした。9歳でピタゴラスの定理を自力で証明するなど,興味のある数学や物理は大得意だったのに,興味のない分野ではまったく成績が振るいません。大学受験の際,数学と物理で最高得点を出したにもかかわらず,他の教科の点数が非常に悪く,不合格になってしまうほどでした。受験失敗!不良学生!?ダメっぷりから生まれた理論アルベルト・アインシュタイン

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