GAKUTO 2020 特別号
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9コロナ禍に学ぶ学校教育 現場レポート 4月2日。すっかり対面での新学期が始まるものと信じて教授会を始める直前に、全面的な閉鎖が決まったという情報がかけめぐって、入学式もオリエンテーションもできなくなった。大学院の講義はゴールデンウィークあけに始まることになり、その準備が1ヶ月の長きにわたった。新入生はまだ大学のメールアカウントさえもっておらず、大学のネットワークが使えるよう、郵送によるアカウント配布やらなにやらが行われたためである。 玉川大学教職大学院はちょうどGoogleクラスルームや独自のメールを構築したところであり、大学本体の回線を使わなくてもいいようになったので、Zoomを使った形で講義を始めた。すぐに明らかになってきたのが次のような点である。 学生は在宅なので、必要以上にネットで調べたりして夜中までレポートやリフレクションを書いてしまう。結果、夜中や朝方に送信してくるような始末になり、学生は寝不足になり、メールでのお知らせがこちらのスマホに大量に届いてしまう。学生は時間感覚を失って体調不 コロナ禍における各学校の緊急対応の経験は、この先、小・中・高等学校において新学習指導要領の理念を実現していく上で、多くのヒントを得たのではないだろうか。授業づくりと教材づくりの視点から考えてみたい。 一斉休校以降、学校・自治体によっては、先生方のご努力により教科書の内容を紹介する解説動画の作成・配信などが行われた。児童生徒は解説動画を見て、課題を解き、提出していた。動画撮影した方が授業よりも短時間に収めることができたという声も聞く。また、児童生徒の学習状況の把握のため、課題プリントの配布回収で苦慮された学校もあった一方、オンラインを活用して課題の提出・採点・返却、AIドリルなど学習アプリを導入した学校や自治体が出てきた。GIGAスクール構想で一人一台端末環境が整いつつある今、今後は、このようなICT活用が進むかもしれない。しかし、これらを単元の一部に導入しても、新学習指導要領で求めている「資質・能力の育成」には必ずしもつながらない。解説動画を順に見せるだけでは、昔ながらの伝統的な知識の詰め良になる。視力が落ちる学生も出た。 何より、授業中にとなりの学生のノートなどをのぞき見することができないことが、学生の勘違いを生みやすく、今何をやっているかが分からなくなってしまう。 同じく、隣り合った学生との雑談というか、小さなコミュニケーションがとれない。ブレイクアウトでは、他のグループの話し合いが干渉しあうことがない。結果として自分(たち)のやっていることのモニターができない。 こうして提出されるリフレクションを読むと、こちらの意図とは微妙にそれぞれずれた受け止め方をしていることが分かる。積極的な受け止め方だが、こちらとはずれるのである。 後期は対面が認められたので、私のコマは対面で行っている。そもそも対面なしで授業を論じたりするのは問題だし、教員養成が対面なしでできるというのは自己矛盾である。対面の授業でののぞき見と雑談が大切だということを再認識した次第である。込み教育と変わらない。また、課題の採点・返却をICTで効率化していっても、課題は常に教師や機械から与えられるものであり、主体的に学習内容を見通し、意味理解を構成しながら進めているとは限らないからである。 一方、限られた環境や時間で単元を進めていくために、指導書に頼らない授業づくりや、柔軟な単元設計への挑戦も多く見られた。このような取り組みが今後も広がることが期待される。例えば、限定的な対話時間内で深く考え意味理解を構成していくために「主発問」を焦点化するなどの工夫や、教科書の単元終盤の発展課題などで紹介される「文脈・状況が埋め込まれた課題」を単元導入に事前に挑戦させることで「単元を通した問い」を持たせた授業展開など、「主体的・対話的で深い学び」を強く意識した授業づくりである。このような視点を持たれていた学校・自治体では、一斉休校期間中の解説動画作成・配信も「覚えてもらう」のではなく「考えてもらう」ことを意識し、「問い」をもたせて動画視聴させるためのワークシートや、課題提出も子供たち同士で提出内容を共有し相互にコメントし合う「対話」を非対面でも実現する仕掛けを用意していた。 今後、問いの設計の工夫や考え深めたくなる対話環境の工夫の蓄積が、資質・能力の育成を実現する授業改革につながるだろう。大学からのぞき見と雑談玉川大学教職大学院教授 松本 修ポストコロナに向かって聖心女子大学教授 益川 弘如

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